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미타씨의 글

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작성자 관리자
댓글 0건 조회 2,471회 작성일 05-10-11 23:11

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일본에서 데끼루(できる)시리즈 서적 고안자로 유명한 분을 애도하는 미타씨의 글입니다. 한국에서는 영진출판사에서 [할수있다!] 시리즈로 번역되어 출판된 서적이기도 합니다.

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日本で最初の有料の商用メルマガは、インプレスの山下憲治さんが「インタ?ネット?ウォッチ」として創刊されたものが最初だ。

彼は、現在インプレスの役員を務める井芹昌信氏の部下だったが、大?なアイデアマンであり、そのアイデアを?行する手腕も、そしてなによりも仕事のバイタリティにあふれた、優れた人だった。

山下さんはもともとアスキ?にいた書籍の編集者だった。そして一時期だが、アスキ?がインプレスと分裂する直前の時期に、ぼくがアスキ?で書かせてもらっていた「入門C言語」「?習C言語」「?用C言語」の改訂を行うときの、その編集者だった。

彼はずんぐりとしていて、小柄で、決して目立つ容姿ではなかったけれど、いつも明るかった。その勉?の努力と、?い?察眼、そして、その?察によって捕らえたことを、物怖じせずに人にぶつけていく、そのバイタリティには舌をまいた。

あの?時、僕の上記の本は大?に?れていた。今だから白?するけれども、、その改訂のとき、彼が「三田さん。こことここ、間違ってます。直してください」と、はっきりと言ってきた。もちろん、彼の言っている?容は正しく、ぼくもいつか直しておかないとまずい、と思っていたところだった。?際、その頃ぼくはとても忙しくて、書籍のことも、おろそかになりがちだったから、放置してあった部分だったのだ。そして、それまでの編集者は、そういうことを言ってくる人は皆無だった。

その指摘の?容と?さに、ぼくもその場でこたえ、すぐにその部分の文章を書き直した。「これでどうだろう?」彼は、僕の直したその文章をじっと見つめた。ちょっと間があいて彼は言った。「OKです。これで行きましょう」。ぼくはほっとした。今でも、その??なやりとりを?えている。彼には、そういう緊張感が常にあった。今でも、彼のそのときの?の細かい調子さえおぼえている。

その後、井芹氏の後を追ってインプレスに彼も移った。そして、日本で最初の商用メルマガを作ったばかりではなく、その前にも、いまやPCのソフトウエアの入門書の不動の地位を築いたといっていい、インプレスの「できるシリ?ズ」を、考え、立ち上げた。

最初の「できる」は、「できるExcel5.0」。Windowsもバ?ジョンが3.1という16ビットのOSの時代だったから、今以上にWindowsは良く落ちた。でもPC使いにとって、Excelはいよいよ必須のソフトウエアアイテムとなりつつあった時代だ。?時私のやていた?社の社員を派遣して、その?容を作った。

「できるExcel5.0」がそれまでのパソコン書籍と違って?期的だったのは、まさにWindows時代のマルチウィンドゥ的な編集だ。本の見開きの左側に「やりたいこと」が書いてあり、右側に「こうそればできる」ということが書いてある。見開いたペ?ジそのままで、1つのトピックが完成していて、ペ?ジをめくるごとに新しいことが1つ、?えられる。そこにはふんだんに?面をキャプチャ?した?が使われている。

それまでのPCの書籍は、筆者が書きたいことをつらつらと書いていく、というやりかたで、ビジュアルな部分は少なかった。まさに「?む」書籍だったが、「できる」は、?者の立場に立って「見せる」書籍だった。そういうPCの?本の最初だったのだ。

その出版から?ヶ月で、「できるExcel5.0」は10万部を超えた。?時はそれも?期的な?れ行きだった。山下さんの「時代の空?を?む感?」の勝利だった、とぼくは思っている。そして、その?れ行きをお祝いして記念パ?ティが開かれ、ぼくらも?加させてもらった。いま、その「できるシリ?ズ」は、他のソフトウエアのものまで、?多く出版されている。おそらく、いまは累積で一千万部を超え、二千万部にて?とどいているかも知れない。

しかし、なによりもPCの?則本の、あの書籍のスタイルを?想し確立した、ということがもっとも大きな彼の業績だろう、とぼくは思っている。いま、彼の名前でGoogleを引くと、どうしてもインタ?ネット以後の話として、「日本で最初のメルマガ」についての文章を見ることが多いが、?は彼のこの業界に?した足跡は、それだけではなかったのだ。

2000年の7月7日。彼はまだ父親が死んだことの意味もわからない幼い子供と、彼の愛妻、そして、おそらく、??の彼のこの業界に?したさまざまな事業を考え、達成していく上で大きなベ?スとなったものを彼に?えたであろう、しっかりしたお父さんを?して、ガンで亡くなった。享年35?。その晩年、彼は?病をしつつ、?週3日、?社に出勤していた。

ぼくはその頃の彼に新しい書籍の企?の相談をしに、何回かインプレスに行った。目の前で見る、見る?せていく彼の?子は、痛?しく、最後のほうでは見るに耐えなかった....彼の?病の?子はNHKで番組にもなった。こういう?病生活をしているガン患者もいる、という紹介がされていた。

彼の葬儀には、業界の?係者700人が訪れた。インプレス社長、塚本氏、副社長の井芹氏が弔?を?んだ。

葬儀の日、多くの弔問客に「ありがとうございました」と頭を下げてお?を言い?ける、母親と、その母親に抱かれてたくさんの人にただ驚いて親指を口にくわえている子供。あまりに痛?しくて、正面からその姿を見ることができなかったのは、おそらくぼくだけじゃなかっただろう。

ぼくの名刺フォルダ?の中には、彼の名刺がまだ、ある。

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